ジョン万次郎とは?
足摺岬を洗った、滔々たる黒潮の流れは、日本列島を北東に進み、ついには北アメリカ北西海岸に達する・・・
幕末の世、土佐の中浜村に生まれたジョン万次郎の一生は、まさにこの雄大な黒潮そのものといえるでしょう。その数奇な運命と独自の才覚によって、近代日本の夜明けともいえる時代に日米の架け橋となる幾多の業績を残しました。
14才の時、出漁中に漂流し、アメリカの捕鯨船に救助され、やがて船長にその才能を認められた万次郎は、船長の故郷マサチューセッツ州フェアヘーブンで英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学びます。やがて日本に帰国し、それらの貴重な知識や技術、体験は幕末から明治にかけての日本の夜明けに、日米の友好をはじめとする国際交流の礎に多大の影響を与えています。
現在、日本と最も友好関係にある国といえるアメリカ合衆国。その国の歴史に、おそらく日本人として一番最初に名を留めた人物、ジョン万次郎。
170余年前、四国最南端の小さな漁村から、最初の国際人として語られることになるドラマチックな生涯と、彼を育んだ人々の優しさに満ちた心に触れ、日米をはじめとする国際交流の原点を感じとっていただければ幸いです。
以下のメニューよりジョン万次郎の詳細をご覧ください。
幕末の世、土佐の中浜村に生まれたジョン万次郎の一生は、まさにこの雄大な黒潮そのものといえるでしょう。その数奇な運命と独自の才覚によって、近代日本の夜明けともいえる時代に日米の架け橋となる幾多の業績を残しました。
14才の時、出漁中に漂流し、アメリカの捕鯨船に救助され、やがて船長にその才能を認められた万次郎は、船長の故郷マサチューセッツ州フェアヘーブンで英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学びます。やがて日本に帰国し、それらの貴重な知識や技術、体験は幕末から明治にかけての日本の夜明けに、日米の友好をはじめとする国際交流の礎に多大の影響を与えています。
現在、日本と最も友好関係にある国といえるアメリカ合衆国。その国の歴史に、おそらく日本人として一番最初に名を留めた人物、ジョン万次郎。
170余年前、四国最南端の小さな漁村から、最初の国際人として語られることになるドラマチックな生涯と、彼を育んだ人々の優しさに満ちた心に触れ、日米をはじめとする国際交流の原点を感じとっていただければ幸いです。
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※ジョン万次郎直系5代目子孫中濱京氏のブログはこちらです。
民主主義や外国での生活・考え方など、坂本龍馬の開眼も万次郎の体験によることは明らかで、ほかにも板垣退助、中江兆民、岩崎弥太郎などに多大な影響を与え、後に中浜万次郎と名乗った彼は、1827年、現在の土佐清水市中浜に漁師の子として生まれました。