立石摂津守は、布村を中心とする土佐清水市北東域に勢力を持ち、土佐一條氏に従った豪族です。布地区西部の長笹北側の尾根に中世山城である布城が形成され、これは立石摂津守の時代に築かれたと「土佐清水市史(上巻)」では推測しています。摂津守は土佐一條氏四代当主・兼定が為松・安並・羽生などの策謀により豊後追放になったことに憤激し、加久見氏などとともに以南豪族衆が結束してこれを追討しています。布浦西光寺の寺記に「天文年中(1532~1555)より一条氏の後見役であった」ことが記されており、衰えの著しい土佐一條氏を支えてきました。
凋落する土佐一條氏を何とか守り抜こうと踏ん張りましたが、結果として、圧倒的な長宗我部氏の勢力の前に屈せざるを得ませんでした。このような状況に責任を感じて、天正2年(1574)9月3日、自害したと伝えられています。布地区松ヶ鼻にその供養塔は建てられましたが、宝永4年(1707)の南海・東南海同時地震による津浪で流失したことが「南路志」に記されています。現在、設置されている供養塔は、延享4年(1747)に布浦民が再建したものです。
詳細情報
土佐清水市指定文化財 | |
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種別 | 記念物(史跡) |
指定年月日 | 昭和47年4月30日 |
指定番号 | No.53 |
所在地 | 土佐清水市布字ハナ山2890番5 |
所有者等 | 布・立石地区 |
形状 | 総高 157cm 台石高 70cm |
問い合わせ先 | 生涯学習 |
電話番号 | 0880-82-1257 |
メールアドレス | syougai@city.tosashimizu.lg.jp |